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自分のための人生![]() ※この記事は長いので、興味の無い方はスルーして下さいね。 いろんな知識をインプットするのは大切だけど もっと大切なのはそれをアウトプットすることだそうです。 なので、このブログで私は皆さんに、人生を豊かにするためのヒントとして 良い教えをシェアしたいなって思ってます。 世界で1670万部突破の、生涯一度は必ず読んでおきたい本 「自分のための人生」 ウェイン・W・ダイアー 原題は「your erroneous zones」で、エラーをしてしまうゾーン、これに対する日本語がないので 翻訳者が、「錯信帯」(自己実現の妨げとなるような思い込みや感じ方)と訳しています。 錯信帯を持っていない人というのは、普通の人とはどこか違っている。一見したところでは普通の人と変わらないけど、普通の人にはない独特なものを持っている。 まず第一に明らかなことは、こういう人は人生のどんなことも好きだということである。何をやるのも楽しくやり、不平をこぼしたり非現実的なことばかり願って時間を浪費するということがない。 こういう人のそばにいると、彼らは決して不平を言ったり、ため息をついたりしないことに気づくだろう。雨が降れば雨が好きだし、暑ければ暑いのもいいと思う。決して不平不満を言うことはない。交通渋滞に巻き込まれようが、パーティーに出席していようが、あるいは独りぼっちでいようが、ありのままの現実とうまくやっていこうとする。 彼らとて病気や旱魃(かんばつ)、洪水といったいやなものは歓迎しないけれども、それらについて泣き言を言ったり、こんなものはなければいいのにとブツブツ言いながら現在という時をむだに費やすことはしない。 彼らは不平をこぼすことなく、ありのままの自分を受け入れる。自分が人間であり、人間である以上、それぞれなにがしかの特質を持った存在であることを知っているからである。自分がどのように見えるかを知っており、それをそのまま受け入れる。 自分が好きだから、ありのままの自分を受け入れる。同様に世の中の物事もそのまま受け入れる。現在とは違うふうであってほしいなどとは思わない。暑さや雨など自分の意志で変えようもないことについて愚痴をこぼさない。自分と世の中をありのままに受け入れて、ごまかしたり、不平を言ったりしない。こういう人たちのそばに何年一緒にいても、彼らが自分を非難したり、はかない願いごとをするのを決して耳にすることはないだろう。黙々と自分の思うところを実行する姿を見るだけだ。子供が自分の世界をそのまま受け入れ、そのすばらしさを満喫するように、彼らがありのままに世の中を見つめていることがわかるだろう。 心にわだかまりがなく人生を楽しめる人はすこぶる好奇心が旺盛である。飽くことのない好奇心のかたまり。毎日毎日新しい、より多くの知識を求め、成功しようが失敗しようが、構わず何事にも挑戦してみる。 うまくいかなかったり、多くの成果をあげられなかったら、そのときは後悔してくよくよせず、いさぎよく諦めてしまう。彼らは学び続けるという意味では真理の探究者であり、いつもわくわくしながら新しい知識に挑戦する。もうこれだけ身につけば十分だとは決して思わない。 彼らはいつも生徒であって先生ではない。いくら学んでも学び足りないので、知識をひけらかしていばったりはしない。そんなことはしたいとも思わないのだ。どんな人物、どんなものごと、どんなできごとも、もっと知識を吸収するよい機会を与えてくれるのだと思っている。 彼らは失敗を恐れない。実際、失敗を歓迎することすらよくある。仕事でりっぱな業績を残すことと、人間的に立派であることは別のことであると考えている。自分の価値は自分の内部にあると思っているので、外部のできごとはそれが有効で有益なものであるか否かという基準だけで客観的に判断することができる。 失敗というのは他人の一つの批評にすぎないことを、また、失敗してもそれは自己の価値を損なうものではないから恐れる必要がないのだということを知っている。楽しいから何にでもトライするし、参加する。事を恐れずはっきりしたものの言い方をする。 同じく、他人やものごとに腹を立てて頭がはたらかなくなるようなことをしない。自分についてもそうであるが、他人の行為やものごとに対してもかくあるべきだなどと勝手に考えない(こういう考え方は、すでに一つの生き方になっているので、そのたびごとにいちいち考えなくてもよいのだ)。 ありのままの他人を受け入れ、ある事柄が気にくわなければ、自分で気に入るように努力して変える。他に対して期待するところがないから、裏切られたといって腹を立てることもないわけだ。自分で自分を駄目にしてしまうような感情を取り除くことができ、自分を向上させるような感情を昂揚させることができるのである。 充実した人生を送っている健康な人は、過ぎてしまったことをくよくよ考えて、現在をむだにしているという後ろめたさも感じないし、悩むこともない。もちろん、彼らもまちがいを犯し、それを認め二度とくりかえすまいとするが、いたずらにくよくよ悩んで時間を浪費することはない。前に自分がやったことが気に入らないからといって、自暴自棄になり、現在という時を無為に過ごしてしまうことはない。 自分の心の中に後ろめたい気持ちがまったくないということは、健全な人間であるまぎれもない証拠の一つである。過ぎたことを嘆くことはしないし、また他人に向かって、「どうしてもっと違うふうにやらなかったの」とか「あんなことをしてよく平気だな」などと言って、その人に後ろめたい気持ちを抱かせるようなこともしない。 「これまでの人生はこれまでの人生だ。くよくよしたところで過ぎ去った人生を変えられるわけではない」ということが腹の底からわかっているのだ。 彼らが後ろめたさを感じないのは意識して努力した結果ではない。それが自然なのだ。だから、他人にも後ろめたさを感じさせない。現在をつまらないと思ったところで自分がみじめになるだけだし、過去から学ぶほうが、過去をとがめるよりもはるかに優れた行為であることを知っている。 彼らは、自分がいかに気分を害しているかということを相手に訴えて、そのことによってその人を思いどおりに操ろうなどとはしないし、同じ手口で彼らを操ろうとしてもむだということがわかるのであろう。 彼らは決して腹を立てない。ただ、無視するだけだ。腹を立てるよりは立ち去ってしまうか、あるいは話題を変えようとするだろう。普通の人にはうまく功を奏する戦術も彼らには通用しない。後ろめたさでみじめな思いをしたり、あるいは他人にそうした思いをさせるよりは、うまくやれるときにやればいいさと気楽に構えている。 同じように、心にわだかまりのない人はとりこし苦労をするということがない。彼らとて、いついかなるときも冷静でいられるわけではないが、自分から進んで将来のことについて苦悩しつつ現在という時を過ごすことはしない。 彼らの心は常に現在にむけられている。すべての気苦労は現在に対してなされるべきであること、現在の生活を後まわしにして避けるというのは愚かなやり方であるということを、常に思い出させるシグナルのような心のはたらきが彼らにはあるのだ。 こういう人たちは、過去や未来ではなく現在を懸命に生きる。未知のことにおびえたりせず、新しい未知の経験を自分から求めていく。曖昧模糊としたものを探求していくのが好きだからだ。 彼らは常に現在という時を味わうようにしている。自分にできるのはこれだけだということを知っているのだ。未来の予定を立て、その予定が現実になるときまで何もしないでぼんやり待つなどということをしない。一瞬一瞬が同じように生きがいのある人生なのである。 彼らは、毎日毎日を最大限に楽しく充実した生活をする不思議な能力を持っている。まさかのときに備えつつ、事を先に延ばすようなことはしない。世間の常識が自分の行き方を認めないからといって、自分を責めたりしない。現在を精いっぱい幸福に生きようとする。そして、未来が現在となればその現在を同じように精いっぱい楽しく生きる。 彼らは、楽しいことを待つ愚かさを知っているがゆえに、常に現在を楽しく暮らそうとするのだ。まったく自然な生き方で、子供や動物の生き方とたいへん似ていると言える。たいていの人は、棚からぼたもち式の生き方で何も得ることなく過ごしているが、彼らは現在の時を充実させるのに忙しいのである。 こうした、心が健康な人々の著しい特徴は、自立心が強いということである。家族の人間に対して強く深い愛情を持っているが、あらゆる人間関係において、依存よりも自立のほうが大切であると思っている。 自立していない不健全な人間は、彼らのことをなかなか好きになれないかもしれない。というのも、彼らは自分の自由のことになると頑として意思を貫くからである。誰かが彼らに助けを求めても、助けることが自分自身にもその当の人物にも害になるといって拒絶する。彼らが求める人物というのは、自分から進んで人を頼らないようにしている人間であり、自分の意志でものごとを決定し、自分の力で自分の人生を生きているような人間である。 こうした幸福で充実した人生を送っている人というのは、普通の人たちと違って、他人に自分の行動をいちいち認めてもらおうとしない。他人に認められたり、称賛されなくても一切気にかけず自由に行動できる。 充実した人生を送っている人たちのもう一つの特質はその正直さである。責任逃れをしたり、体裁を繕ったり、嘘をついたりしない。 嘘をつくことは自分自身が直面している現実を歪曲してしまうことだと思っている。だから、そういう自己欺瞞的なことはやらない。嘘をつくことによって、他人を守れるような場合も嘘をつかないようにする。自分のことは自分で責任を持つべきだと思っているから、他人もそうあるべきだと考えるのだ。だから、他人から見ると彼の行動は冷たいように見えることがしばしばある。だが、彼らはただ、他人も自分のことは自分ではんだんしてやればそれでいいと思っているだけなのだ。こうであったらならばいいのに、という願望ではなく、ありのままの現実をうまく処理することを考えているからである。 こういう人は他人を責めない。彼らは自分の人格に関しては常に心の内に目を向ける。今の自分がこうなったのはあいつのせいだ、などというふうには考えない。同様に、他人があれをやらなかったとか、こんなことをやったとか言って、他人のことをとやかく言って時間をつぶすようなことはしない。 こうした性格の人たちを観察してみればわかることだが、彼らは周囲の価値観に自分を合わせるということをしない。 と言って、彼らが反抗的な人間なのではない。たとえ他人と衝突することになろうとも、自分の意志は自分で決定していく人間なのだということだ。道理にかなっていなければ、些細な規則は無視してしまえるし、伝統的なしきたりで人生に重要な意味を持つものであっても、それが自分にとってつまらないものであれば、静かに肩をすくめて拒絶してみせる。礼儀であるというだけで、カクテルパーティーに出席したり、つまらない世間話などしたりしない。自分というものをしっかり持った人間だということだ。 彼らは、決まりとか組織、制度といったものにほとんど関心がない。自分を律する行動の規範は持っているけれども、他人やものごとをそれに合わせたいという欲求は持っていない。他人はこうあるべきだ、というような考えは持っていない。誰もが自分の意志で選択して行動すればよいと思っている。他人の判断に従って行動するから、つまらないことで頭がおかしくなってしまうのだ。 人生を楽しめる人は、いかに笑うべきか、いかにして笑いを作り出すかを知っている。どんな状況の中にもユーモアを見出し、まじめくさったものも不合理なものも笑いとばす。他人を笑わせるのが好きで、また笑わせるのがうまい。生まじめに深刻な顔をして重々しい態度で人生を生きる人間ではないのだ。 充実した人生を送っている人は、病気とは縁遠い人間である。彼らは自分が風邪とか頭痛で何もできなくなるとは思い込まない。そうした病気を治す力が自分にはあると信じている。自分がいかに気分がすぐれないかとか、いかに疲れているかとか、持病にいつも悩まされているかということを、他人に触れ回って歩かない。 彼らは健康管理がうまい。自分が好きだから、よく食べ、規則的に運動し、病気にならないようにする。 多くの人は、これをやらないから病気になって、しょっちゅう活動できなくなってしまうのだ。彼らは充実した人生を生きたいから、自分の健康に気をつけるのである。 彼らのエネルギーは超人的な肉体から生ずるのではない。それは人生を愛し、人生で活動することを愛している結果なのである。彼らは退屈するということを知らない。彼らにとって人生のあらゆるできごとが、行動や思考や感動を促すよい機会となるのである。 心にわだかまりのない人は、いちいちうるさく公平さを要求しない。ある人間が他人よりもよけいに特権を持っていれば、そのことを腹を立てる理由とは見なさず、その当人にとって有益なことであると見なす。何かの試合をすれば、自分が勝つために相手が失策をおかせばよいとは願わず、よいプレーをして欲しいと思う。他人のへまによって自分が得するよりは、自分自身の力で勝利を得、よい成果をあげたいと思う。すべての人間が平等に天分を与えられるべきだ、などという主張をせず、自分自身の幸福を自分の内に求める。 他人のことをあれこれ批評することをしないし、他人の不幸を喜ぶようなこともしない。自分の人生を生きることに忙しいので、周囲の人間のしていることに注目などしていられないのだ。 何よりも大切なことは、彼らが自分自身を愛しているということだ。成長したいという願望に促されて彼らは行動する。どちらかを選択せよと言われたら、必ず彼らは自分を大切にするほうを選ぶ。自己憐憫や自己否定や自己嫌悪に陥るすきを自分に与えない。 彼らに、「自分のことが好きですか」と尋ねれば、「もちろん、好きだ」という答えが直ちにに返ってくる。毎日が楽しく、平穏な生活で、充実した一刻一刻を過ごしている。困ることや悩みごとがないわけではないが、そのために感情的に動揺してしまって何も手につかなくなるということがない。 精神が健全であるか否かは、すべって転んだときにどういう行動をとるかによってわかる。彼らは転んだまま泣いているだろうか。いや、すぐに立ち上がり、泥を払い落として、再び歩き始める。心にわだかまりのない人たちは幸福を追い求めたりはしない。生きることがすなわち彼らにとって幸福なのである。 「自分のための人生」 ウェイン・W・ダイアー 1976年 渡部昇一訳 私が共感した部分は赤字にしました。 滑って転んだら、私もすぐに立ち上がって再び歩き始めると思います。 そしてただじゃ起き上がらないわ。 起き上がる最中にも、もっと成長してやるって思いながら起き上がってみせるわ。 それから、やはり自分のための人生を生きるには、全て自分の意志で物事を決定していくってことだと思います。 自分で決定したなら、全てにおいて自分で責任を持てます。 でも例えば争いを避けて問題をうやむやにしていた結果、自分の望まない方向に物事が進んでしまったとき、こんなはずじゃなかったなんて後悔するんです。でもすでに時遅しです。 決定を人任せにしていた自分が悪いんです。 自分では何も決定して行動してないのに、それを相手のせいにするなんて愚かです。 私は今までほとんどのことを自分で決定してきたので、ありがたいことに後悔はあまりないですよ。 強気だね、とか、そんなふうに私のことを言う人も中にはいますけど、 誰からなんと言われようと気にしない。 そのくらいの覚悟がなければ、全てにおいて自分で責任を持つ人生なんて送れません。 自分の人生、自分で責任持たずに誰が持つ?? そういうわけで、今の自分の状況を引き寄せてしまったのには、私自身にも責任があるってことです。 なんでそうなったのか、最近ふと気がつきました。 あのね、私の潜在意識の中で強く願っていた未来像と現実がズレていたわけですよ。 だから軌道修正のために今回のことは起きたのかなって思ってます。 7年のお付き合い、同棲解消。 一見ネガティブな現象だけど しかしながら、多分これは私の幸せな未来のために起こるべくして起きたのかもしれないのかなって。 もうそろそろ気がついて、それじゃ理想の人生は手に入らないよって 神様のお計らいだったと思うことにしました。 だから、本当に欲しい理想の人生を明確に、それに向けて今後はもっと楽しく生きようと思ってますよ。 もし何かやりたいことがあっても、あれこれ理由をつけてやらずにいる人に一言。 「目の前に出されたスープの味は飲んでみなきゃわからない」 とりあえず何でもやってみたらいいんですよ。実際にやってみなきゃわからない。 失敗してもいいじゃない。ダメだったらそれでやめればいいんだから。 私なんていろんなことに手を出して、何度も中途半端に終わってますけど、 それでもいいと思ってますよ。やらないよりはやった方が楽しいですもん。 人はやったことより、やらなかったことに後悔をする習性があるそうです。 まさに、やるって決断をして、実際に行動したことに対して責任を持てる人と 行動せずに後悔をする人の差がここにも出てますね。 だからちょっと勇気を出して、とにかく行動するってことを意識して生きたら 今までとは違った世界も見えてくるかもしれないですよ♪ ではまた。 私のブログを読んで頂いて有難うございます。嬉しいです。 ランキングに参加しています♪ ポチッと応援して頂けると励みになります ![]() ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村
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| 2015-06-03 01:53
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